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新世界(西野亮廣)に『本の正体』を見た。

そういえば全文無料公開とか不思議なことをやっている人が
いたなと思い、気が付いたら全文読み終えていました。

僕はテレビを見ないので『お笑い芸人』としてのキングコング西野は
正直、知らないです(ネタも多分見たことない)。
それでも、この本?を読んだ後、
陳腐な表現だけど、ものすごく心に響くものがありました。
その時ふと、『本の正体』について少しだけわかった気がしたのです。

r25.jp

 

『本』ってなんだろう?

『本』とは、思考や体験、情報を言語化し、文字というフィルターを通して紙に転写、それをまとめたもののことをさします。

『本』の機能は、思考や体験、情報を伝達することであり、
特に本の場合はその媒体として文章が使われます。

文章はまず、視覚的な情報として脳に伝達され
そこから言語知識をもちいて理解できる情報へと変換されます。

僕の場合は文章が一度音声に変換され、
音声に紐づけられた映像を参照し情景となり、
疑似体験することで、いくらか損失はあれど「情報が伝達」されます。

つまり『本』は、文章を主たる媒体とした情報伝達装置の一種ということです。

『本』が僕らにしてくれること

一番のキモは、文章という媒体が伝えられうる情報の幅広さです。

記述されている事象を疑似体験できるので、
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。
なんでもござれです。

ただここには一つ、問題点があります。

あくまで「疑似」体験なので、
文章から作成された「仮想現実」の材料は
自身が実際に体験した事柄の組み合わせでしか表現できません。

僕が新世界を読んでいた時に脳内で流れていた西野さんの声は「西野さんの声」ではありません(聞いたことがないから)

それでも、疑似体験の脚本は他者のもの。

そこに大きな学びの場があります。

『本』の正体

本は、一種の仮想現実を構築する装置です。

五感に関係するパーツは自前のものですが、
ストーリーは他者のものであり、そこから得られる教訓・情報は

自分の中には存在しなかったものになります。

そしてその教訓・情報こそ本によって複製されたものです。

すんごい回りくどいコピペみたいな感じです。

『本』の信用構築機能

ここからは、新世界を読まれた方向けです。

新世界を読んだ後、西野亮廣という人物と少しだけ仲良くなった気分になった方も多いはずです。

僕自身、やたらと好感。親近感をもちました。

今も持ってます。

そんな親近感、好感。
いいかえると読者の信用を獲得できたのはなぜなのか?

それは文章が仮想現実を構築する装置だからです。

これは脳の機能をかなり使います。
それはもう他のことができなくなるほどに。。

僕らは新世界を読んでいる間、西野亮廣という人物の話を聞いていました。
それも親身に僕たちの話をしていたのです。
これはいわば西野亮廣さんと二人きりで話していたようなものです。
つまり二人っきりで話す『場』を複製したことになります。

文章(本にかかわらず)が信用構築のツールとしていかに強力であるか?
その可能性を感じずにはいられません。

 

新世界を読んで、西野亮廣さんにやたらと親近感?好感?を持ったのはなんでだろう?
と思い、いろいろ考えていたら『本』というものが少しわかった気になり。
書き留めてみました。
新世界の良さはいろんな人が語っていると思うので、ここでは割愛します。